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子どもの頃、一日中遊んでばかりで楽しかった記憶があります。
わたしの頃はもうゲーム機が普及している時代だったので、
外にいてもゲームばかりしていましたが、これもいい思い出です。
形が違っても、子どもが安心して思いっきり遊べるような社会にしたいと、
大人になった今、あらためて思います。
今回はリンドグレーン先生の名作『やかまし村の子どもたち』を紹介します。
リンドグレーン先生は『長くつしたのピッピ』が有名ですが、こちらも名作です。
『やかまし村の子どもたち』はこんな本
子どもたちの日常を描いた素朴な名作
『やかまし村の子どもたち』は、7歳の女の子リーサの視点で、
「やかまし村」と呼ばれる小さな村に住む子どもたちの日常を描く、古典児童文学の名作です。
世界観はひたすら現実的で、
大きな事件や、ドラマチックな展開はなく、魔法やモンスターも登場しません。
(事件はあってもファンタジーなことは一切起きず、日常の範囲に収まります)
手紙を交換したり、秘密基地を作ったり、「地面に足をつけたら死んじゃう遊び」をしたり…
今も昔も変わらない、子どもたちの遊びの様子がリアルに描かれています。
やさしく見守る大人たちの存在
やかまし村の子どもたちが、安心して子どもだけの世界に没頭して遊べるのは、
やかまし村の大人たちが「いい大人」だからです。
『やかまし村の子どもたち』に登場する大人たちは、
説教くさくなく、だけど叱るときはちゃんと叱る描写があり、それでいてユーモラスです。
たとえば、冒頭で引用した「おじいさん」の台詞。
やかまし村の大人たちがどういう存在か表しているようで、本当に好きなんです。
「どうかしら、おじいさん。わたしたち、家出してもいいとおもう?」
アストリッド・リンドグレーン.やかまし村の子どもたち 岩波少年文庫128(訳 大塚勇三).岩波書店.2023,p.111
と、アンナがきくと、おじいさんはいいました。
「いいとも。ちょっとだけなら、家出してもよかろうよ。」
家出と言われると普通止めるものなのに、「よかろう」と言ってしまうユーモアさ。
子どもの冒険心を止めない、いいお爺さんだなって思います。
いやな大人もいる、ひとりだけ
ただし、約一名「いやな大人」が出てきます。
子ども目線だからなどではなく大人から見てもいやな感じの人です。
そんなに長い間物語の中にいるわけではないのですが、
その人を巡るエピソードにはけっこうなインパクトがあります。
解説ではいいところもあると書かれてはいますが、
少なくともわたしは、こんな大人にはなりたくないですね…
低学年からおすすめ
対象年齢は3,4年生からとありますが、
個人的には2年生あたりからでも読めると思います。
文字も大きく、ひらがなも多いです。
まとめ
本記事のまとめ
・『やかまし村の子どもたち』は、のどかな日常を描写した古典児童文学の名作
・安心できる大人がいるから、子どもたちは安心してのびのびと遊べる
・低学年からおすすめ 本好きなら大丈夫